機動投資家イヌイです。
今回は、ボクの当時の社会からあぶれてしまった話をさせていただこうかなと思います。
ロストジェネレーションドンピシャ世代なのですが、それは世の中のせいにしてはいけなく、当時のボクが何とかして活路を見だすことが出来なかった。
情報も狭窄的な社会だというのもあったかもしれません。
当時、ボクは3DCGの専門学校に行き、今でも考えると自分自身に真剣に向き合わなかった。
と、今は感じています。
自堕落な学生でした。
バイトと専門学校の往復。毎日ゲームしてはクラスメートと他愛無い会話をしたりなど。
バイトは、社員食堂のアルバイトとだけお伝えしておきます。
自宅とバイト先との往復。
そんな毎日を過ごしていました。ボクは専門学校に通っていたのにも関わらず、パソコンは所持しておらず、ようやくパソコンを購入出来たのは、卒業間近の時でした。
当時は、ブラウン管でありウィンドウズ98というパソコンを購入。
98なので、1998年代の話しです。
この時、ホリエモンはオン・ザ・エッヂを立ち上げ、インターネット事業を行っており、その後ライブドアが成功。
ボクも、無料プロバイダーでお世話になりました。
それに比べ、ボクには彼女もいなく特定の職にも就けず、日々悶々と過ごしていました。
日々バイトをこなしながら、せめてゲーム業界やアニメ業界に入ろうとあがくため、小説を書いておりました。
当時は、インターネットがようやく日本国内で普及し、かつブロードバンド今で言うなればネットの光回線すらない。
そんな時でも、ボクは何とかしてアマチュアというか、スニーカー文庫などの登竜門に投稿しておりました。
当時から投稿してはいたものの、佳作にもならず、その投稿は一切日の目を出ることは無かったです。
なろう系という言葉が久しいですが、そういうサイトもまだ出ておらず、デジタルデータでやり取りを行うとしたら、フロッピーディスクを送付する。
そんな感じだったと記憶しております。
良い時代になったものですね、投稿サイト小説家になろう。
バイトを日々行いつつも、何とかしてしがみついていた時、フリーターとして過ごしていたらあっという間に2年という月日が経過していました。
実家の往復とアルバイトの日々。
ボクは考えに考え抜いた結果、社員食堂のアルバイトを辞めることを決意するわけです。
ここからが、長い派遣社員という使い捨ての人材の沼に足を踏み入れるなんて、
この時のボクは思ってもいませんでした。
2001年。
あっという間に20代となり、派遣で転々とさせられるわけです。
初めは生産業務の仕事から始まりました。
詳しくは書けませんが、検査とだけお伝えしておきます。
周りの人々とは何とかして仲良くやっていましたが、印象的だったのは、右隣にいた大阪出身のオバちゃんです。
確か、こち亀の両津勘吉が歯が抜けて、それが乳幼児期の歯だというオチをすごく楽しく語っていた記憶があります。
なお、他にも20代ぐらいの女性や、24歳ぐらいの女性の方で彼氏持ち。
他には髪を茶髪に染めていてピアスをしていた男性で、私の他愛もないジョークに付き合ってくれる少し年上のお兄さんなどなど。
そして、アメリカはとんでもないことになります。
遠方からジェット機がビルに突撃します。
これが、9.11アメリカ同時多発テロという事件をブラウン管の前で目の前にするわけです。
そして、今の職場にようやく慣れてきたました頃です。
2か月後ぐらいになると、派遣の社員の方に呼ばれるわけです。
イヌイさん、生産量も落ちてきたので、他の所に行ってもらいます。
9.11の崩れるビルのようにボクは途方に暮れました。
それなりに頑張ってきたのに、あっという間に他の所に移されるわけです。
家に帰っては、オンラインゲームをやりつつ。
それでも、小説家を目指したくて、夜中に起きながら欠伸しながら書いていたら、
母親に早く寝なさいと注意されました。
ボクは、涙を流しながら訴えた訳です。
就職にあぶれ、何もできず、このまま人生進んでいくのではないかという。
ならば、これしかないのではないかと。
当時のネット環境で考えるのならば、誰かが何かを教えてくれるような便利なYouTubeのようなものはなく、情報を欲しければ、お金を払うしかない時代でした。
ネットが出たての、PCもようやく何とかしてバイト代を貯めて購入したウィンドウズ98ですら、まともに動かすのがやっとの20代の若者に、何が出来たかというと、何も出来なかったのが全てでした。
二社目の派遣先が決まり、それは端末を組み立てる内容でした。
PCを組み立てるような業務で、ボクは嬉々として仕事をしていました。
そこで、社員の方と仲良くなり、テーブルトークRPGというロールプレイの存在を知ることとなりました。
リアル演技ゲームというか、ある意味衝撃を受けたと同時に、徹夜して付き合ってくれたその時の社員の方にも感謝しています。
今で言うと、マーダーミステリーなどもその一部かもしれません。
そこでの派遣先は、しっかりと満了まで働かせてくれましたが、ボクの派遣先の最後は某トラックの部品梱包という、離れ小島までが派遣先となりました。
でも、人的なストレスはなく、むしろ一番友達が出来た派遣先だったかもしれません。
1人はマレーシア人で、もう1人は日本人。
この二人は、相性が最悪で日本語が通じないあまり、よくケンカしてましたが、ボクが入る事でなんか丸く収まる。
この時のボクは気づいていないのですが、ひょっとしたらストレングスファインダーで判断された、人を繋ぐ仕事が得意だという事に直結しているかもしれません。
当時XBOXの「鉄騎」というバカ(良い意味)を体現したようなドでかいコントローラーがセットのゲームが出ており、彼らにもやってもらえばきっと価値が生み出せると思って、二人を思い切って両親が不在の時に客人として呼びました。
ただ、そのゲームは取説もなく、操作方法も独特。
ボタンもメチャクチャ多い。
そんなもの、いきなり座ったからといってできるはずもなく、初っ端から機体は破壊され、脱出ボタンを押さず、彼らは戦死(このゲーム、戦死=ゲームデータ消えます)したわけです。
あの頃はあの頃で、とても楽しかったですね。
マレーシア人の人とも、いつの間にか友達にさせてもらっていましたし。笑
よく分からないのですが、そこら辺を歩いていると子供や犬に好かれたり、
老人に話しかけられるなど、ボクはだいぶ隙だらけの雰囲気をかもし出しているようです。
もう、派遣はこりごりだ!!
ある日を境に、ボクはなぜか突如陸上自衛隊に行ってみたいと思いました。
入隊したかった理由はなんてキレイごとを書くつもりはありません。
ただ「就職難」だったから。
このまま派遣暮らしでは将来が見えず、社会的にも存在しているのかどうかも怪しい。
この社会に不満を漏らしたところで変わるはずもなく、やることはただ一つだけでした。
お昼の隙間を縫って、自衛隊の中学校~高校生ぐらいの国家試験対策を行うようになりました。
お前みたいな体格の細いのが雇ってもらえるのか? 職場の方に言われましたが、ボクは気にせずそのまま勉強を続けるわけです。
ボクはランニングはたまに行っており、多少の体力に自信はあったのですが、今でも当時の写真を拝見すると「もやし」のように本当に細かった。
ですが、後ほど知ることになりますが、自衛官は細身の人が多く、すれ違った海兵隊の人たちも結構細かったですね。
余談は置いといて、結局僕は「就職難」という理由で、国を守りたいなどたいそうな思いもなく、本当に不誠実な理由で入隊することとなるのです。
自衛隊という所に憧れも何もありません。
人に役立ってほしいとか、これといって何がしたいかというのも正直なかったです。
自衛隊に入れたのは、まぐれ中のまぐれ。
それと、たまたま入れる人数を多く入れるという事で、とりあえず新隊員教育隊に入隊することが可能となったのです。
ですが、そのまぐれ入隊が、まさか自分を変える“修羅場”になるとは、当時のボクには知る由もなかった。
ボクは時代に取り残され、ホリエモンはもっと駆け上がっていくことになるのです。
ホリエモンが光だったら、ボクは影だった話。
②へつづく。
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