「何者でもなかった僕が『元陸上自衛隊から投資家になるまでのリアル」

どうも、元陸上自衛隊投資家イヌイです。
初めにお伝えしておきますと、私は金融の専門家でもなんでもありません。
あくまで私の体験談を交え、お伝えするだけです。

小説の何かと思って拝読して頂けると幸いです。

結論からお伝えすると、今回は、
私の事が誰なのか全く知らん方々向けの内容となっております。

私に興味がない方は、是非ともすっ飛ばしていただければ幸いです。

では、お品書き!!!!!

以前から副業を行っていた。

まずは○○から。

どうも、元陸上自衛隊投資家イヌイです。
本日は、まだ何者でもなかった頃の自分――副業に手を出し始めた頃の話を、赤裸々に語らせていただこうと思います。

私が副業に手を出したのは、今からもう10年以上前のことになります。
当時は、YouTubeもほとんどがエンタメ系に偏っていて、今のような教育系・ノウハウ系の発信はかなり少ない時代でした。
ネットを使ってお金を稼ぐ、という概念すら一般的ではなく、どこか“怪しい”という空気すらあったと思います。

その頃の私は、結婚したばかりでした。
元妻は田舎から出てきたばかりで、環境に慣れない中、私も職を転々とする不安定な状態。
当然ながら、金銭的にもかなり苦しい時期で、「このままでは生きていけないかもしれない」という焦りと不安が常にありました。

そんな時代に、ネット界隈で少しずつ話題になり始めていたのが「せどり」でした。
中でも、私が目をつけたのが 「中古せどり」
今でこそ定番の一つかもしれませんが、当時の私にとっては希望の光のように見えたんです。

幸い、私はゲームやガジェットが大好きでした。
なので、中古のゲーム機をメルカリなどでまとめて仕入れ、動作確認と軽い清掃・整備をしてから、Amazonのセラーセントラル経由で出品するというスタイルを取りました。

……ところが、現実は甘くありませんでした。

ゲーム機は確かに売れる。需要もある。
でも、その分**“鮮度”の移り変わりが早い**
ほんの数ヶ月で新型が出れば、旧型の価値は一気に下落します。
仕入れた在庫はそのまま“重たいお荷物”となり、資金はショート。
生活費にも手が回らなくなり、仕方なくこの商売を諦めざるを得ませんでした。

その後、夫婦関係にもヒビが入り、離婚。
元妻からの最後の言葉は「お金ないよ」の一言でした。
私は彼女に、結婚祝いでいただいたすべてのお祝い金を渡して、彼女を見送りました。

せどりの失敗と、離婚。
スタート地点から、いきなりボロボロです。
けれど、ここからが、私の長い“副業地獄”の始まりだったのです。

ブロガー(1回目)

なぜ、そういう判断をしてしまったのか?

せどりで資金ショート、そして離婚という人生のどん底を味わった私は、
「それでも、何かをしなければ」と、再び副業の道を模索し始めました。

次に手を出したのが、ブログでした。
今でこそ、ブログで稼ぐという言葉は珍しくありませんが、
当時はまだ情報商材という言葉のほうが目立っていて、怪しい世界だという印象も強く残っていました。

それでも私が踏み出せたのは、ある一人のブロガーに出会ったからです。
彼の人間性や文体に惹かれ、気づけば毎日のように彼のブログを読むようになっていました。
彼は一貫して、「月5万円稼げれば、人生は変わる」と語っていました。
その言葉が、離婚を経て空っぽになっていた私の心に、妙に刺さったのです。

ブログに挑戦してみよう。
その思いだけで、私はそのブロガーに連絡を取り、約20万円を支払い、
今でいう“ブログコンサル”を受けることにしたのです。

けれど、始めてみてすぐに気づきました。
思っていた以上に、ブログって大変なんだな、と。

構築の作業、文章の書き方、集客の仕組み。
当時もパソコンは触れていたし、ある程度の知識もありました。
でも、それだけじゃダメだった。
一人で毎日コツコツと記事を書き続けるには、強い「目的」か「動機」が必要でした。

しかし、私の内側には、まだ大きな傷が残っていたのです。
離婚のショックもあったし、せどりの失敗で自己肯定感はズタボロ。
そんな状態で、「よし、頑張ってブログで稼ぐぞ!」と前向きになれるほど、私は強くなかった。

そして、気づけばブログから徐々に離れ始め、
やがて完全に手を止めてしまいました。

では、なぜ私はあんなにも前のめりになって、20万円も払ってしまったのか。
今ならハッキリと分かります。
**「心が弱っていたから」**です。

人は、失うものが多すぎると、正常な判断ができなくなります。
冷静なときなら避けられた罠にも、ズブズブとハマってしまう。
悲しいことですが、それが現実です。

だから私は、今こうして声を大にして言いたい。
「人生が大きく揺れたときは、必ず“帯を締め直せ”」と。
詐欺や過剰なコンサル、うまい話はその時こそ近づいてくるんです。
向こうは“弱った人間”の心に、嗅覚のように気づいて寄ってきます。

この経験は、まだ物語の序章にすぎませんでしたが、
副業という名の迷路をさまよう私にとって、また一つの痛みを学ぶ機会でもありました。

何故か、夢だった作家に憧れてブロガーから逸れてしまう。

ブログを始めたはずの私が、気づけばなぜか「小説家」を目指していた――。
今考えても、まさかの方向転換だったと思います。
でも、それはある意味、副業を通じて「自分の本音」に気づいた瞬間でもありました。

もともと、私は文章を書くのが嫌いではありませんでした。
むしろ、小説やアニメが大好きで、自分の頭の中にある“妄想”を形にしてみたいという欲望はずっと心の奥にありました。
そして、当時ちょうど流行っていたのが「小説家になろう」系のWEB小説サイト。
エックス(旧Twitter)と連携し、趣味で書いた作品を公開する文化が広がっていた時代です。

ブログを書こうとしていた手が、いつしか「小説」に向かっていたのは、もはや自然の流れだったのかもしれません。
人間って、やっぱり好きなものには吸い寄せられてしまうんですよね。

実際に書いたのは、チャイナドレスを着た女性がパワードスーツで戦車を転がすSF小説
そうです、完全に“なろうの王道”から外れた、SF×中華×パンチラというカオスな設定。笑
でも、それでも「これ、あんたにしか書けない」と言ってくれた読者がいたんです。
その一言は、ブログで挫折した自分にとって、心の奥に灯った小さな火種になりました。

さらに、エックス上では他の作家さんたちとも交流が生まれ、
自然とLINEグループができ、宣伝しあったり、キャラクターを“出張”させ合ったり……。
いま思えば、完全に実験的な文化祭ノリ。
でも、そうやって誰かと作品を通じて繋がっていく感覚が、純粋に楽しかったんです。

商売としては一歩も進んでいない。
収益もゼロ。
むしろ、ブログの方向からは完全に逸脱している。

でも私は確かに、「表現する」という生き方に手を伸ばしかけていた
副業で稼ぐことに必死だったはずが、気づけば「好きなことを誰かに届けたい」という、もっと本質的な衝動に動かされていたのかもしれません。

結果的には、小説活動も大きな成果には繋がらず、
グループも徐々に自然消滅していきました。
でも、ここで得た経験――「人とのつながり」と「創作の楽しさ」は、
のちに私が投資の道へ向かう時、意外な形で生きてくることになります。

え!? なぜか声優みたいなことをやっている!!

「なろう作家として趣味を楽しんでいたはずが、気づけば“声優”の真似事をしていた――。」

もはや自分でも笑ってしまう展開ですが、これがまた、副業という名の迷路の一風景なのです。

エックス(旧Twitter)で交流を深めていた作家仲間たちとの間で、自然とできあがったLINEグループ。
そこで誰かが言いました。

「なろう系のキャラでLINEスタンプ作って、一緒に稼がない?」

面白そうじゃん!と、ノリで始まったその企画。
5人のメンバーが集まり、キャラデザやセリフ案を出し合い、作家の枠を越えた創作ユニットのような空気になっていきました。

が、ここからがカオスの始まりです。

なぜか「キャラクターに声をつけたらどうか」という話になり、
気づけば私は声優役をやることになっていたのです。

もちろん、経験なんてありません。
でも、ノリで始めたグループはどこか「やれば面白い!」という熱量だけで突っ走っていました。
録音ソフトを試し、スマホ片手にセリフを吹き込む。
あのときの私は、「これが役に立つ」とか「稼げる」なんて全く思っていませんでした。
ただ、目の前の“創作ごっこ”が、どこか心の癒やしになっていたんです。

しかし――楽しいことばかりではありませんでした。

グループの中心にいた“リーダー”の言動が徐々に気になり始めます。
「片手うちわで稼げるようになりたいですね」と、ふわっとした夢を語る一方で、
突然別の裏グループを作っていたり、方向性の共有がなくなったり。

なにより、「話し合い」ができない。

一人、また一人とメンバーが離脱し、気づけば3人だけ。
スタンプを作ると言っていたはずのイラスト担当も音信不通。
そして、リーダーはいつの間にかエクセルアートを始めていました。

……もう、わけがわかりません。笑

自由は素晴らしい。でも、「誰かと何かをやる」には、最低限の協調性が必要です。
結局、誰にも挨拶されることなく、私はそのグループからそっと抜けました。

こうして、“声優になった機動投資家イヌイ”という謎の肩書きは、静かに消えていったのです。

副業という世界では、時に**「仲間とやること」の難しさ**にも直面します。
理想と現実。熱量と責任。
そのギャップを埋められないと、どんなに面白いアイデアも自然消滅してしまうのだと、身をもって学びました。

そして、コンサル料金の値段は吊り上がる。

私は悩み悩んだLINEグループが崩壊し、創作仲間との関係も自然消滅。
「副業」として始めたはずの道は、もはや“趣味の迷路”と化していました。
それでも私は、「どこかに正解があるはずだ」と、答えを求めてさまよい続けていたのです。

そんなある日、私は“とある人物”のブログと出会います。
そこには、本も出版し、地方テレビ番組にも出演しているいわゆるインフルエンサー的存在がいました。
ブログには、こんな言葉が並んでいました。

「人生を変えたいなら、今すぐ一歩を踏み出せ」
「月収を10倍にするマインドと戦略を教えます」

……どこか胡散臭い。でも、心が弱っていた私は、なぜかその言葉に引き込まれてしまいました。

気づけば、50万円という大金を支払い、その“先生”の面談を受けることに。
場所は、まるでホテルのような高級マンション。
周囲にはベビーカーを押しながらランニングしている人、フカフカの犬のうんちを丁寧に処理する住人たち……。
「同じ市内なのに、こんなにも世界は違うのか」と、圧倒されながらインターホンを押したのを、今でも覚えています。

迎えてくれたのは、猫を撫でながら笑顔を浮かべる“先生”。
お部屋はシンプルで、余計なものが一切ない。
投資家ぎゃんだむのカオス部屋とは、まさに真逆のベクトルです。

「なぜ、私を選んでくれたのですか?」

先生の最初の質問に、私はこう答えました。

「今までいろいろな副業に挑戦してきたけど、どれも上手くいかなくて。
自分に自信もなくしてしまって、何かを変えたかったんです。」

すると先生は即座にこう返してきました。

「稼ぐには、モノを売るかサービスを売るか、どちらかしかありません」

その時、私は“モノ”(物販)で失敗した過去がフラッシュバックしました。
「もうあんな思いはしたくない」と思った私は、迷わず**「サービスを売る」**方を選びます。

「では、どんな経験がありますか?」

元妻が腰痛持ちだったことを思い出し、私はこう答えました。

「実はマッサージをしていたことがあり、毎回ありがとうって言われていました」

すると先生は、「マッサージは資格の問題もあるから、**“エステ”にしましょう」**と提案してきました。

……え? エステ? 男の自分が?
と、一瞬戸惑いはしたものの、心の中では「人生一度きりだし、やってみるか」と思ってしまったんです。

そして、この選択がまたしても、新たな試練の入り口になるとは、このときの私は知る由もなかったのです。

0→1がメチャクチャ難しい理由

「エステをやってみましょう」

そう言われた私は、人生で一度もエステサロンに行ったこともなければ、
エステの知識もほぼゼロ。
それでも、「自分を変えたい」という一心で、その道に飛び込むことにしました。

紹介されたのは、女性のエステティシャンの先生。
ここでは“エステ先生”と呼ぶことにしましょう。

コンサル先生からの紹介ということもあり、私は特に疑うこともなく、
彼女に20万円を支払い、エステの技術を教わることになりました。
さらに、自宅に設置するためのマッサージ用の折りたたみベッドも購入。

完全に準備万端――のはずでした。
でも、すぐに壁にぶち当たります。

「どうやってお客さんを集めればいいのか?」

これが、副業初心者にとって最初の、そして最大の壁。
0→1の壁です。

技術を学ぶ。道具を揃える。やる気もある。
でも、「来てくれる人がいない」。
どれだけスキルがあっても、集客できなければ商売は成立しないんですよね。

この頃、私は会社員として平日働きながら、
休日に友人を招いて、エステの練習をしていました。
それこそ、友人からなけなしの500円をもらって施術したこともありました。
あの500円の重みは、今でも忘れられません。
「自分で初めてサービスを提供して、お金をいただけた」という感動は、何よりも大きかった。

でも、そんな小さな成功体験の裏で、現実は厳しくのしかかってきます。

・SNSでの発信はうまくいかない
・口コミが広がらない
・何より、男性のエステというだけで警戒される

「どうすればお客さんが来てくれるのか?」
「このまま続けて、本当に生活していけるのか?」

焦り、孤独、不安。
0→1のフェーズでは、自信のなさや環境のせいにしたくなる瞬間が何度もやってきます

それでも私は、なんとか頑張っていた。
頑張っていたんですが――

ここにきて、あの“コンサル先生”が、さらに新たな「先生」を連れてくるのです。
「この人はすごい。あなたを導いてくれる」

そうして私は、“さらに上の世界”へと足を踏み入れていくことになります。

金持ち同士は、最終的に金は回さない。

エステで0→1の壁にぶち当たっていた頃、
コンサル先生から「さらにすごい先生がいる」と紹介されました。

会場は、毎月行われている定例会。
まるで合宿のように、温泉地で開催され、先生を信じる100名以上の“弟子”たちが集まっていました。

その中に身を置いて、私はふと、あることに気づきます。

「この空間、やたらと“お金の匂い”がする――」

当時の私は、コミュニティの中でも“下っ端”。
でも、耳を澄ませば聞こえてくるんです。
他のメンバー同士の会話。

「先日はありがとうございました。また○○のサービス、よろしくお願いします」
「あの案件、今度は一緒にやりましょう」
「あの人のサービスなら、50万でも安いよね」

一見、何気ない会話。
でも、よくよく聞くと**“サービスとサービスを交換する”**ような話ばかり。

つまり、こういうことです。

通常100万円のコンサルサービスがあったとして、
それを「あなたのブログ制作とセットにして50万円にしてくれませんか?」と交渉する。
信用と実績があれば、現金ではなく“価値の交換”が成立してしまうのです。

そのとき、私は衝撃を受けました。

「金持ち同士って、最終的に金を回さなくなるんだ……」

彼らが避けているのは、明らかに**“税金”**です。
現金をやりとりすれば、当然所得として課税される。
でも、サービスやモノの交換であれば、経費や対価の形を取って合法的にお金の流れを“見えにくく”できる。

もちろん、すべてが違法なわけではありません。
でも、それは明らかに**「富める者のルール」**でした。

貧しい者は、稼いだ金をすぐに消費する。
豊かな者は、稼いだ金をなるべく外に出さないように設計する。

この世界では、「お金」は単なる通貨ではなく、
**“信用と価値のバロメーター”**として使われていたのです。

私はその場にいながら、心のどこかで思っていました。

「こんな世界、知らなきゃよかったかもしれない……」

でも同時に、「自分もいつか、こういうやり取りができる側に行けるのだろうか?」と、
わずかな希望と、果てしない距離感を感じながら、
私は湯けむり漂う会場を、ただ静かに見つめていました。

2020年ついにヤツが!!

エステで0→1の苦しみを味わい、
それでもなんとか友人に500円もらって施術をしたり、
休日に細々と実践を重ねていた頃――。

あの“ヤツ”がやってきます。

2020年、新型コロナウイルス、襲来。

世界中がパニックに陥り、街が止まり、人が集まれなくなる。
それは、**対面でサービスを提供するすべての副業に“死刑宣告”**を突きつける出来事でした。

もちろん、私のエステも例外ではありません。

「集客が難しいな……」と思っていた矢先に、“人に触れる仕事”自体が完全NGに
SNSを使って集客する余裕もなくなり、
「今は時期が悪いから」と周囲も次第に距離を置くようになり、
私は文字通り、“副業孤島”に取り残されたのです。

あんなに悩んで買ったマッサージベッドも、
部屋の片隅でホコリをかぶり、最終的には処分するしかありませんでした。
努力も、投資も、学びも、全てが水の泡。

あの時の無力感、あきらめの感情は、
人生でも指折りの重たいものでした。

「もう、副業なんてやらないほうがいいのかもしれない……」

心の奥底から、そんな声が聞こえてくるようになっていました。

それでも、先生は“次なる希望”を見せてきます。
「除菌水のビジネスがあります」
「今だからこそ、これが求められている」
「ある方をお呼びして、特別な登壇があります」

……すでにこの時点で、私は限界寸前でした。
でも、もはや諦めきれず、「何か変わるかもしれない」と、
その“登壇”を見に行くことにしたのです。

現れたのは、もはや宗教じみた雰囲気の「最高神コンサル」。
名前を聞けば誰もが知っている政治家との関係を匂わせ、
「除菌水ビジネスで億を稼いだ」と豪語し、
その講座の受講料は、ジャン!! 200万円~~(ドラえもん風)

長机がズラッと並び、背後にはスタッフが控え、
「お金がない人も相談に乗りますよ」と、
いかにも“逃げ道をふさぐ空気”が漂っていました。

でも――私は、ついに気づいたんです。

「これはもう、ビジネスじゃない」
「自分の人生を、人の夢の踏み台にしてしまう」

震える手でカバンを持ち、スマホを耳に当てながら、
「すみません、今現場から連絡が入って……」と嘘をついて、
私はその場を立ち去りました。

もう、完全に抜け殻でした。

副業は、もうやってはいけない。
何をやっても、報われない。
もう、普通に会社員として生きるしかない。

心の火は、ほぼ消えていました。

完全に抜け殻になり、、、、。

ンサル、エステ、除菌水、最高神……
気がつけば、私は「誰かの成功ストーリーの登場人物」にすらなれず、
ただただ、お金と時間を使い果たしただけの“その他大勢”になっていました。

そして、完全に心が折れました。

やる気はもちろん、感情すら動かない。
何かに期待することも、未来を描くこともなくなった。
会社と自宅の往復。
週末にアニメをぼんやりと流し、スマホをいじるだけの日々。

「自分って、なんだったんだろう?」
「何を信じて、どこへ行こうとしてたんだっけ?」

そんな問いも、もはや虚しく響くだけでした。
何かを始めても、どうせ失敗する。
努力しても、裏切られる。
お金も、時間も、信頼も、たくさん失った。

副業を始めた頃は、「自由になりたい」「家族を守りたい」「何者かになりたい」
そんな熱い想いが確かにあったはずなのに、
気づけばすっかり、**「もう、何もしなくていい」**という考え方に支配されていたんです。

抜け殻。
この言葉が、あの頃の私を一番よく表しています。

自分を変えたいと思って動いたのに、
その行動の果てに残ったのは、“変わってしまった自分”でした。
誰も信じられず、何も始めたくない。
そして、始めるエネルギーすら、残っていない。

でも――

そんな中でも、なぜか人生は止まらないんですよね。
朝になれば目が覚めるし、仕事にも行く。
誰かと話すこともあるし、ご飯も食べる。

心は空っぽなのに、時間だけは確実に進んでいく。
それが、当時一番つらかったことかもしれません。

「こんな自分に、もう何かできるはずがない」

そう思っていた“そのとき”に、
私は、ある不思議な出会いを果たすことになります。

それでも、死なない、見捨てないのが幸運の女神?

完全に抜け殻になっていた私。
副業という言葉を聞くだけで、拒否反応が出るほど疲れていた頃。
未来に期待することもなく、心のどこかでは「このまま、ただ流れて生きていくんだろうな」と思っていました。

でも、人生って不思議です。

ある日、何気なく見ていたSNSで、とあるコミュニティの存在を知りました。
その投稿には、きらびやかな成功話も、煽るような文言もなかった。
むしろ、「今ここにある幸せを大切にしています」「日々、感謝を忘れずに」――
そんな言葉が並んでいたんです。

なんだか、今までの“ビジネス系”とは違う。
ギラギラしてない。
キラキラしてない。
でも、心がすっと落ち着くような空気があった。

私は、そのコミュニティに静かに入ってみることにしました。

そこで出会った人たちは、いわゆる“副業で稼ぎたい!”みたいな人たちではなく、
**「人生を見つめ直したい」**という想いを持った人たちでした。

その中で何度も語られていたのが、「感謝」と「幸福」について。
毎日何気なく使っている電気や水、住める部屋、食べられるご飯――
それって、本当に当たり前じゃないんだよ、と。

この言葉たちが、今の自分の“空っぽな心”に、じわじわと沁み込んでいきました。

その中で、私は**「投資」という言葉と再会**します。

実は、ずっと昔に少しだけ株式投資をかじったことがあったんです。
当時は、勝ったり負けたりで結局プラマイゼロ。
「向いてない」と思って手放していたのですが――

このコミュニティでは、投資=ギャンブルではなく、未来への備えであり、感謝の循環として語られていました。

これが、新しい気づきでした。

人から奪うのではなく、
仕組みを理解し、
人と価値を共有しながら生きていく――

「ああ、自分が求めていたのって、こういう世界だったのかもしれない」

そう思ったとき、ようやく、心の奥で何かが動き始めたのを感じたんです。

ここから、私の人生は少しずつ、でも確実に変わっていきます。

コミュニティにて、投資の師匠と出会う。

人生で何かが“変わる”とき、
意外にも、ドラマチックな音はしない。

その出会いもまた、ひっそりと、日常の中に忍び込んできました。

私は、先のコミュニティの中で――ついに投資の師匠と出会ったのです。

見た目はとても穏やかで、派手さもなく、どちらかといえば地味。
でも、話してみると、一言ひとことに「実体験の重み」がありました。

「投資っていうのは、“自分の心”を映す鏡だよ」

そう言った師匠の言葉が、妙に胸に残ったのを覚えています。
ギラギラと“儲け”を追ってきたこれまでの自分とは、まったく違う価値観
そこには、「数字」ではなく、「信頼」と「継続」に軸を置く生き方があった。

投資=お金儲け、ではない。
投資=未来を育てる行動だと、師匠は教えてくれました。

私は、その言葉を信じて、改めてインデックス投資の勉強を始めました。
「積立NISA」という制度の存在も、ここでようやく正しく理解します。

かつて、“勝つか負けるか”で振り回されていた株式投資が、
今では、“時間と信頼で育てる”ものに変わって見えました。

そして不思議なことに、少しずつ周りの人たちに「紹介」するようになります。

最初は何気なく紹介していただけなのに、
紹介するたびに相手から**「ありがとう」と言われるようになりました。

どうやら私は、人と人を繋ぐのが得意だったようです。

今思えば、ブログも、LINEグループも、創作仲間も、
すべてはこの“才能”に繋がっていたのかもしれません。

そして、師匠のもとで学びながら、私は気づけばコミュニティを運営する立場になっていました。
肩書なんて何でもいい。
でも確かに、私は「自分の手で人を助けられる」場所に、辿り着いていたのです。

この時、ようやく分かりました。

「副業や投資で最も大切なのは、“技術”ではなく“マインド”だったんだ」と。

これまで何をやっても失敗してきた。
でも、あの数々の失敗があったからこそ、今の自分がある。

そしてそれは、きっと誰にでも、起こり得ることなんです。

まとめ

ようは、諦めなければ価値です。

せどりに始まり、ブログ、小説、LINEスタンプ、エステ……
数え切れないほどの副業に手を出し、そしてそのほとんどが失敗に終わりました。

離婚も経験し、詐欺にも遭い、心が折れ、抜け殻になり――
もう二度と「副業」なんて言葉を聞きたくもないと、本気で思っていました。

でも、今の私は、こう言い切れます。

「あの時、諦めなくてよかった」

うまくいかなかったのは、やり方が悪かったのかもしれない。
選んだ相手が違ったのかもしれない。
でも、それ以上に、自分の“在り方”が整っていなかったんです。

マインド。
結局すべては、ここに行きつく。

「何のために、やるのか」
「誰のために、働くのか」
「自分は、何を大切にしたいのか」

その答えが見えないまま、とにかく“稼ぎたい”だけで走り出しても、
その足元は、すぐに崩れてしまう。

私が再起できたのは、たまたま運が良かったのではありません。
歩みを止めなかったからです。
信じてくれる人と出会い、自分を見つめ直し、価値観をアップデートしてきたからです。

だから、今この記事を読んでくれているあなたに、こう伝えたい。

「副業で失敗したって、人生が終わるわけじゃない」
「むしろ、そこからが“本当の始まり”だ」

遠回りしてもいい。
迷ってもいい。
泣いても、落ち込んでも、腐らなければいい。

どんなに崩れたって、人はいつでもやり直せる。
諦めなければ、それは「失敗」ではなく、“価値”に変わっていく

あなたの人生の“副業編”が、もしも今つらいものであっても――
どうか、歩みを止めないでください。

その先に、あなたなりの「再起の物語」が、きっと待っています。

※ 当ブログは筆者の個人の体験談であり、投資を勧誘・保証するものではありません。

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