どうも、軌道投資家イヌイです。
初めにお伝えしておきますと、ボクは金融の専門家でもなんでもありません。
あくまでボクの体験談を交え、お伝えするだけです。
小説の何かと思って拝読して頂けると幸いです。
結論からお伝えすると、
ボクの事が誰なのか、全く知らん方々向けの内容となっております。
興味がない方は、是非ともほかのコンテンツに行って貰えれば幸いです。
どんな副業でもキツイ、時間がない。
でも、投資をやりながらだったら、最強!!
ということをお伝えできればかと思います!!
では、お品書き!!!!!
以前から副業を行っていた。
まずは、ゲームせどりから。
ボクが副業に手を出したのは、今からもう10年以上前のことになります。
当時は、YouTubeのコンテンツの充実度もなく、初期のゲーム配信系が配信されてきた辺りでした。
今のように、教育系・ノウハウ系の発信はかなり少なく、ネットを使ってお金を稼ぐという概念すら一般的ではなく、どこか“怪しい”という空気感すらあったと思います。
その頃のボクは、結婚したばかりで
元嫁は、都会という環境に慣れない中ボクも職を転々とする不安定な状態。
金銭的にもかなり苦しい時期で「このままでは生きていけないかもしれない」という焦りと不安が常にありました。
そんな時代に、ネット界隈で少しずつ話題になり始めていたのが「せどり」でした。
中でも、ボクが目をつけたのが 中古せどりです。
今でこそ定番の一つかもしれませんが、当時のボクにとっては副業のとっかかりとしては最適でした。
せどりをやりながら、ブログを書いていました。
当時のブログ集客同線は、
PDFで無料勉強コンテンツを作成し、ブログ関連サイトにアップロードしてからPDFに貼り付けてあるリンクから見てもらうというものでした。
当時はエックス(旧ツイッター)やインスタでもやれば良いかと思っていますが、
残念なことにSNSもそこまで浸透してなく、せいぜいフェイスブックぐらいでした。
エックスの場合は、ブログ仲間どうしで交流する道具という感じでした。
せどりを始めたボクは、ゲームやガジェットが大好きでしたので
中古のゲーム機を、メルカリなどでまとめて仕入れ、動作確認と軽い清掃・整備をしてから、Amazonのセラーセントラル経由で出品するというスタイルを取りました。
……ところが、現実は甘くありませんでした。
ゲーム機は確かに売れる。需要もある。
でも、その分“鮮度”の移り変わりが早いのも事実です。
ほんの数ヶ月で新型が出れば、旧型の価値は一気に下落します。
仕入れた在庫はそのまま“重たいお荷物”となり、資金はショート。
潤沢にあった30万ほどの資金にも手が回らなくなり、仕方なくこの商売を諦めざるを得ませんでした。
その後、元妻もこちらでの生活と仕事がうまくいかず、妻は寝込みがちになりました。
元妻からの最後の言葉は「お金ないよ」の一言でした。
ボクは彼女に、結婚祝いでいただいた全部のお祝い金を渡して、彼女を見送るためわざわざ彼女の地元まで何とかして送っていったのです。
せどりの失敗と、離婚。
スタート地点から、いきなりボロボロです。
ここからが、ボクの長い“副業地獄”の始まりだったのです。
ブロガー(1回目)
なぜ、そういう判断をしてしまったのか?
せどりで資金ショート。
離婚という人生のどん底を味わったボクは、
「それでも、何かをしなければ」と、再び副業の道を模索し始めました。
次に手を出したのが、せどりと同時に行っていたブログでした。
今でこそ、ブログで稼ぐという言葉は珍しくありませんが、
当時は情報商材という言葉のほうが目立っていて、怪しい世界だという印象も強く残っていました。
でも、ボクが踏み出せたのは、ある一人のブロガーに出会ったからです。
彼の人間性や文体に惹かれ、気づけば毎日のように彼のブログを読むようになっていました。
彼のブログを見ていたのですが、投資という名目の末、ボクはその方にメールで連絡をし、約20万円を支払いました。
今でいうコンサルタント言うものを受けることにしたのです。
けれど、始めてみてすぐに気づきました。
思っていた以上に、ブログって大変なんだな、と。
まず壁になるのが、ワードプレスの構築。
2025年現在、システム的にもわかりやすくなったものの、当時はファイルマネージャーというものも使用してワードプレスを保存、改築などもありましたし、
当時はスマホも出たての時代だったので、スマホ用のサイトもPC用と別々で構築なども行っていたわけです。
前回の項目でお伝えしたとおり、集客は簡単な無料ワードプレスの構築の仕方などでブログのリンクを貼り付けてみたりなど。
文章だけの単純な作業ではなく、構築の作業、文章の書き方、集客の仕組み。
当時もパソコンは触れていたし、ある程度の知識もありました。
一人で、毎日コツコツと記事を書き続けるには、強い「目的」か「動機」が必要でした。
想像以上に大変で、気づけばブログから徐々に離れ始め、
やがて完全に手を止めてしまいました。
なぜボクはあんなにも前のめりになって、20万円も払ってしまったのか。
今ならハッキリと分かります。
「早く成功しようとしていた。長く続けられるようなマインドセットがなかったから」です。
人は、失うものが多すぎると、正常な判断ができなくなります。
悲しいことですが、それが現実です。
だからボクは、今こうして声を大にして言いたい。
「人生が大きく揺れたときは、必ず“帯を締め直せ”」と。
詐欺や過剰なコンサル、うまい話はその時こそ近づいてくるんです。
向こうは“弱った人間”の心に、嗅覚のように気づいて寄ってきます。
この経験は、まだ物語の序章にすぎませんでしたが、
副業という名の迷路をさまようボクにとって、また一つの痛みを学ぶ機会でもありました。
何故か、夢だった作家に憧れてブロガーから逸れてしまう。
ブログを始めたはずのボクが、気づけばなぜか「小説家」を目指していた――。
今考えても、まさかの方向転換だったと思います。
でも、それはある意味、副業を通じて「自分の本音」に気づいた瞬間でもありました。
ボクは文章を書くのが好きです。
小説やアニメが大好きで、自分の頭の中にある“妄想”を形にしてみたいという欲望はずっと心の奥にありました。
そして、当時ちょうど流行っていたのが「小説家になろう」系のWEB小説サイト。
エックス(旧Twitter)と連携し、趣味で書いた作品を公開する文化が広がっていた時代です。
ブログを書こうとしていた手が、いつしか「小説」に向かっていたのは、もはや自然の流れだったのかもしれません。
人間って、やっぱり好きなものには吸い寄せられてしまうんですよね。
実際に書いたのは、チャイナドレスを着た女性がパワードスーツで戦車を転がすSF小説。
完全に“なろうの王道”から外れた、SF×中華×パンチラというカオスな設定。笑
でも、それでも「これ、あんたにしか書けない」と言ってくれた読者がいたんです。
その一言は、ブログで挫折した自分にとって、心の奥に灯った小さな火種になりました。
さらに、エックス上では他の作家さんたちとも交流が生まれ、
自然とLINEグループができ、宣伝しあったり、キャラクターを“出張”させ合ったり……。
いま思えば、完全に実験的な文化祭ノリ。
でも、そうやって誰かと作品を通じて繋がっていく感覚が、純粋に楽しかったんです。
商売としては一歩も進んでいない。
収益もゼロ。
でもボクは確かに、「表現する」という生き方に手を伸ばしかけていた。
副業で稼ぐことに必死だったはずが、気づけば「好きなことを誰かに届けたい」という、もっと本質的な衝動に動かされていたのかもしれません。
結果的には、小説活動も大きな成果には繋がらず、
グループも徐々に自然消滅していきました。
ここで得た経験――「人とのつながり」と「創作の楽しさ」は、
のちにボクが投資の道へ向かう時、意外な形で生きてくることになります。
え!? なぜか声優みたいなことをやっている!!
「なろう作家として趣味を楽しんでいたはずが、気づけば“声優”の真似事をしていた――。」
もはや自分でも笑ってしまう展開ですが、これがまた、副業という名の迷路の一風景なのです。
エックス(旧Twitter)で交流を深めていた作家仲間たちとの間で、自然とできあがったLINEグループ。
そこで誰かが言いました。
「なろう系のキャラでLINEスタンプ作って、一緒に稼がない?」
面白そうじゃん!と、ノリで始まったその企画。
5人のメンバーが集まり、キャラデザやセリフ案を出し合い、作家の枠を越えた創作ユニットのような空気になっていきました。
が、ここからがカオスの始まりです。
なぜか「キャラクターに声をつけたらどうか」という話になり、
気づけばボクは声優役をやることになっていたのです。
もちろん、経験なんてありません。
ノリで始めたグループはどこか「やれば面白い!」という熱量だけで突っ走っていました。
しかし――楽しいことばかりではありませんでした。
グループの中心にいた“リーダー”の言動が徐々に気になり始めます。
「片手うちわで稼げるようになりたいですね」と、完全に下心が透けた感じてしゃべっていたのを、ボクは聞き逃しはしなかったです。
突然別の裏グループを作っていたり、まとめる人が何を考えているのがわからなかった。
一人、また一人とメンバーが離脱し、気づけば3人だけ。
スタンプを作ると言っていたはずのイラスト担当も突然抜けてしまい、イラストレーターがいなくなった後、リーダーはいつの間にかエクセルアートを始めていました。
……もう、わけがわかりません。笑
自由は素晴らしい。
でも、「誰かと何かをやる」には、最低限の協調性が必要です。
結局、ボクも耐え兼ねグループからそっと抜けました。
こうして“声優風味のなろう作家イヌイ”という謎の肩書きは、静かに消えていったのです。
何事も「仲間とやること」の難しさにも直面しますし、今でこそなろう小説というものは広まりましたが、
よくわからん作品のスタンプなど出したところで、集客経路も考えていないものなど、誰が物をサービスを購入したり、受けたりするのでしょうか?
コンサル料金の値段は吊り上がる。
ボクは悩み悩んだLINEグループが崩壊し、創作仲間との関係も自然消滅。
「副業」として始めたはずの道は、もはや“趣味の迷路”と化していました。
それでもボクは、「どこかに正解があるはずだ」と、答えを求めてさまよい続けていたのです。
そんなある日、ボクは“とある人物”のメルマガと出会います。
本も出版し、地方テレビ番組にも出演しているいわゆるインフルエンサー的存在がいました。
なぜかメールでやり取りを行い、引き込まれてしまいました。
気づけば、50万円という大金を支払い、その“先生”の面談を受けることに。
場所は、まるでホテルのような高級マンション。
「同じ市内なのに、こんなにも世界は違うのか」と、圧倒されながらインターホンを押したのを、今でも覚えています。
迎えてくれたのは、猫を撫でながら笑顔を浮かべる“先生”。
お部屋はシンプルで、余計なものが一切ない。
ボクの家ののカオス部屋とは、まさに真逆のベクトルです。
「なぜ、ボクを選んでくれたのですか?」
先生の最初の疑問に、ボクはこう答えました。
すると先生は即座にこう返してきました。
「稼ぐには、モノを売るかサービスを売るか、どちらかしかありません」
その時、ボクは“モノ”(物販)で失敗した過去がフラッシュバックしました。
「もうあんな思いはしたくない」と思ったボクは、迷わず「サービスを売る」方を選びます。
「では、どんな経験がありますか?」
元妻が腰痛持ちだったことを思い出し、ボクはこう答えました。
「実はマッサージをしていたことがあり、毎回ありがとうって言われていました」
すると先生は、「マッサージは資格の問題もあるから、“エステ”にしましょう」と提案してきました。
……え? エステ? 男の自分が?
と、一瞬戸惑いはしたものの、心の中では「人生一度きりだし、やってみるか」と思ってしまったんです。
そして、この選択がまたしても、新たな試練の入り口になるとは、このときのボクは知る由もなかったのです。
0→1がメチャクチャ難しい理由
「エステをやってみましょう」
そう言われたボクは、人生で一度もエステサロンに行ったこともなければ、
エステの知識もほぼゼロ。
それでも、「自分を変えたい」という一心で、その道に飛び込むことにしました。
紹介されたのは、女性のエステティシャンの先生。
ここでは“エステ先生”と呼ぶことにしましょう。
コンサル先生からの紹介ということもあり、ボクは特に疑うこともなく、
彼女に20万円を支払い、エステの技術を教わることになりました。
さらに、自宅に設置するためのマッサージ用の折りたたみベッドも購入。
完全に準備万端――のはずでした。
でも、すぐに壁にぶち当たります。
「どうやってお客さんを集めればいいのか?」
副業初心者ではなく、どんな商売でも最も難しい第一の壁。
それは、最初の、そして最大の壁。
集客の壁です。
技術を学ぶ。道具を揃える。やる気もある。
でも、「来てくれる人がいない」
どれだけスキルがあっても、集客できなければ商売は成立しないんですよね。
この頃、ボクは会社員として平日働きながら、
休日に友人を招いて、エステの練習をしていました。
それこそ、友人から500円をもらって施術したこともありました。
あの500円の重みは、今でも忘れられません。
「自分で初めてサービスを提供して、お金をいただけた」という感動は、何よりも大きかった。
でも、そんな小さな成功体験の裏で、現実は厳しくのしかかってきます。
・口コミが広がらない
・何より、男性のエステというだけで警戒される
「どうすればお客さんが来てくれるのか?」
「このまま続けて、本当に生活していけるのか?」
0→1のフェーズでは、自信のなさや環境のせいにしたくなる瞬間が何度もやってきます。
ボクは、なんとか頑張っていた。
頑張っていたんですが――
ここにきて、あの“コンサル先生”が、さらに新たな「先生」を連れてくるのです。
「この人はすごい。あなたを導いてくれる」
と、先生の先生も更に先生の先生が……。
マトリョーシカのごとく、先生が大先生を呼び、大先生が大大先生を呼び続ける。
金持ち同士の世界は、永遠に続くということにボクは気づきます。
ボクは、さらに片足を突っ込みかけることになります。
金持ち同士は、最終的に金は回さない。
エステで0→1の壁にぶち当たっていた頃、
コンサル先生から「さらにすごい先生がいる」と紹介されました。
会場は、毎月行われている定例会。
まるで合宿のように、温泉地で開催され、先生を信じる100名以上の“弟子”たちが集まっていました。
その中に身を置いて、ボクはふと、あることに気づきます。
当時のボクは、コミュニティの中でも“下っ端”。
でも、耳を澄ませば聞こえてくるんです。
他のメンバー同士の会話。
「先日はありがとうございました。また○○のサービス、よろしくお願いします」
「あの案件、今度は一緒にやりましょう」
「あの人のサービスなら、50万でも安いよね」
一見、何気ない会話。
でも、よくよく聞くと“サービスとサービスを交換する”話ばかり。
通常100万円のコンサルサービスがあったとして、
それを「あなたのブログ制作とセットにして50万円にしてくれませんか?」と交渉する。
信用と実績があれば、現金ではなく“価値の交換”が成立してしまうのです。
ボクは、衝撃を受けました。
「金持ち同士って、最終的に金を回さなくなるんだ……」
彼らが避けているのは、明らかに“税金”です。
現金をやりとりすれば、当然所得として課税される。
でも、サービスやモノの交換であれば、経費や対価の形を取って合法的にお金の流れを“見えにくく”できる。
すべてが違法なわけではありません。
でも、それは明らかに「富める者のルール」でした。
貧しい者は、稼いだ金をすぐに消費する。
豊かな者は、稼いだ金をなるべく外に出さないように設計する。
この世界では「お金」は単なる通貨ではなく、
“信用と価値のバロメーター”として使われていたのです。
同時に「自分もいつか、こういうやり取りができる側に行けるのだろうか?」と、
ただ静かに見つめていました。
2020年ついにヤツが!!
エステで0→1の苦しみを味わい、
それでもなんとか友人に500円もらって施術をしたり、
休日に細々と実践を重ねていた頃――。
あの“ヤツ”がやってきます。
2020年、新型コロナウイルス、襲来。
世界中がパニックに陥り、街が止まり、人が集まれなくなる。
対面でサービスを提供するすべての副業に“死刑宣告”を突きつける出来事でした。
ボクのエステも例外ではありません。
「集客が難しいな……」と思っていた矢先に、“人に触れる仕事”自体が完全NGに。
SNSを使って集客する余裕もなくなり、
「今は時期が悪いから」と周囲も次第に距離を置くようになり、
ボクは文字通り、“副業孤島”に取り残されたのです。
2万円もかけて購入したマッサージベッドも、
部屋の片隅でホコリをかぶり、最終的には処分するしかありませんでした。
努力も、投資も、学びも、全てが水の泡。
あの時の無力感、あきらめの感情は、
人生でも指折りの重たいものでした。
「もう、副業なんてやらないほうがいいのかもしれない……」
心の奥底から、そんな声が聞こえてくるようになっていました。
先生は“次なる希望”を見せてきます。
「除菌水のビジネスがあります」
「今だからこそ、これが求められている」
「ある方をお呼びして、特別な登壇があります」
……すでにこの時点で、ボクは限界寸前でした。
でも、もはや諦めきれず、「何か変わるかもしれない」と、
とりあえず足を運んでみることにしました。
現れたのは、もはや宗教じみた雰囲気の「最高神コンサル」
名前を聞けば誰もが知っている政治家との関係を匂わせ、
「除菌水ビジネスで億を稼いだ」と豪語し、
その講座の受講料は、ジャン!! 200万円~~(ドラえもん風)。
長机がズラッと並び、背後にはスタッフが控え「お金がない人も相談に乗りますよ」と、
いかにも“逃げ道をふさぐ空気”が漂っていました。
でも――ボクは、ついに気づいたんです。
「これはもう、ビジネスじゃない」
「自分の人生を、人の夢の踏み台にしてしまう」
震える手でカバンを持ち、スマホを耳に当てながら、
「すみません、今現場から連絡が入って……」と嘘をついて、
ボクはその場を立ち去りました。
もう、完全に抜け殻でした。
副業は、もうやってはいけない。
何をやっても、報われない。
普通に会社員として生きるしかない。
完全に抜け殻です。
完全に抜け殻になり、、、、。
コンサル、エステ、除菌水、最高神……
気がつけば、ボクは「誰かの成功ストーリーの登場人物」にすらなれず、
ただただ、お金と時間を使い果たしただけの“その他大勢”になっていました。
完全に心が折れました。
やる気はもちろん、感情すら動かない。
何かに期待することも、未来を描くこともなくなった。
会社と自宅の往復。
週末にアニメをぼんやりと流し、スマホをいじるだけの日々。
「自分って、なんだったんだろう?」
「何を信じて、どこへ行こうとしてたんだっけ?」
そんな問いも、もはや虚しく響くだけでした。
何かを始めても、どうせ失敗する。
努力しても、裏切られる。
お金も、時間も、信頼も、たくさん失った。
副業を始めた頃は、「自由になりたい」「家族を守りたい」「何者かになりたい」
そんな熱い想いが確かにあったはずなのに、
気づけばすっかり、「もう、何もしなくていい」という考え方に支配されていたんです。
抜け殻。
この言葉が、あの頃のボクを一番よく表しています。
自分を変えたいと思って動いたのに、行動の果てに残ったのは“変わってしまった自分”でした。
誰も信じられず、何も始めたくない。
でも――
そんな中でも、なぜか人生は止まらないんですよね。
朝になれば目が覚めるし、仕事にも行く。
誰かと話すこともあるし、ご飯も食べる。
心は空っぽなのに、時間だけは確実に進んでいく。
それが、当時一番つらかったことかもしれません。
「こんな自分に、もう何かできるはずがない」
そう思っていた“そのとき”に、
ある不思議な出会いを果たすことになります。
それでも、死なない、見捨てないのが幸運の女神?
ボクは、完全に抜け殻になっていました。
とにかく副業には距離を置きつつ、日々一生懸命会社員をする毎日。
未来に期待することもなく、
心のどこかでは「このまま、ただ流れて生きていくんだろうな」と思っていました。
人生って不思議です。
何気なく見ていたYouTubeで、とあるコミュニティの存在を知りました。
今までのビジネス系とは異なり、どことなくゆるい雰囲気。
ボクは、ゆるいコミュニティに入ってみることにしました。
出会った人たちは、副業で稼ぎたい! ばかりの人たちではなく、
「人生を見つめ直したい」や「趣味の友人が欲しい」などなど様々な想いを持った人たちでした。
ボクは様々な思いのあるお金の授業みたいなところで、
「投資」という世界に再び挑戦することになるのです。
20代後半のころに少しだけ株式投資をかじったことがあったんです。
当時は、勝ったり負けたりで結局プラマイゼロ。
「向いてない」と思って手放していたのですが――
このコミュニティでは、投資=ギャンブルではなく、未来への資産を少しずつ増やしていくというものでした。
これが、新しい気づきでした。
仕組みを理解し、暴落のあおりをいかにスルーし、日々ひたすら投資を続けるという行為がどれだけ難しいのか。
ボクの人生が変化するときのターニングポイントでした。
少しずつ、でも確実に変わってくるのは感じておりました。
コミュニティにて、投資の師匠と出会う。
人生で何かが“変わる”とき、大きな変化などなく徐々に変化するものだとボクは思っています。
コミュニティの中で、投資の師匠と出会ったのです。
見た目はいつでも短パン、上はTシャツ、真冬を除いてほぼそのスタイル。
ボクの師匠は、本業は運送業者なので、
大変失礼ですが、本当に投資をやっている人!? という感じの方でした。
でも、彼がライフプランを組んだ時は衝撃を受けました。
Financial Teacher System 9
というライフプランソフトを使用し、全てにおいて口頭で説明、相談者に指示していたんです。
直感的にボクは思ってました。
ブログでPDFのマニュアルを作成すれば師匠の負担が減る!!
ボクは、師匠に「とりあえずマニュアル作りましょうよ」とお伝えします。
師匠がある程度支持してくれたおかげでそのマニュアルはある程度完成することとなります。
マニュアルを作成するところから、不思議なことに少しずつ周りの人たちに「紹介」するようになります。
最初は何気なく紹介していただけなのに、
紹介するたびに相手から「ありがとう」と言われるようになりました。
ボクは、人と人を繋ぐのが得意だったようです。
師匠のもとで学びながら、ボクは気づけばコミュニティを運営する立場になっていました。
ボクは「自分の手で人を助けられる」場所に、辿り着いていたのです。
この時、ようやく分かりました。
「副業や投資で最も大切なのは“マインド”だったんだ」と。
これまで何をやっても失敗してきた。
でも、あの数々の失敗があったからこそ、今の自分がある。
まとめ
ようは、諦めなければ価値です。
せどりに始まり、ブログ、小説、エステ……
数え切れないほどの副業に手を出し、そしてそのほとんどが失敗に終わりました。
離婚も経験し、詐欺にも遭い、心が折れ、抜け殻になり――
もう二度と「副業」なんて言葉を聞きたくもないと、本気で思っていました。
投資から資産が増えていった結果なんですが、本当に
「あの時、諦めなくてよかった」
副業で、うまくいかなかったのは、やり方が悪かったのかもしれない。
選んだ相手が違ったのかもしれない。
でも、それ以上に自分の“在り方”が整っていなかったんです。
マインド。
結局すべては、ここに行きつく。
ボクが再起できたのは、たまたま運が良かったのではありません。
投資という歩みを止めなかったからです。
信じてくれる人と出会い、自分を見つめ直し、価値観をアップデートしてきたからです。
今この記事を読んでくれているあなたに、こう伝えたい。
遠回りしてもいい。
迷ってもいい。
泣いても、落ち込んでも、腐らなければいい。
どんなに崩れたって、人はいつでもやり直せる。
諦めなければ、それは「失敗」ではなく、“価値”に変わっていく。
あなたの投資人生が、もしも今つらいものであっても――
どうか、歩みを止めないでください。
その先に、あなたなりの「再起の物語」が、きっと待っています。
何か突き刺さったら、コメント等お待ちしております。
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